
2009年9月26日 00:35
大学の秋学期が始まり、気が重い鈴木有香です。今まで、夏休みでいいよなーと思われる方がいらっしゃるかもしれませんが、私は7月からこれまでも研修という名目でドサ周り旅巡業していたので、まとまった休みはなかったので、疲労のため、腰痛持ちになっている状況なんですよ。
そして、後期には100名程度の学生を相手にする授業があります。教育方法論を専門とするわたしにとっては、もう教育効果を期待するような人数ではないのですが、とりあえず、できる範囲でこなそうとは思っています。ただ、単位のためだけ、座っていればいいという学生、授業に参加する気のない学生が少なからずいるのは現実なので、ここ3年くらい初日にこんなことをしています。
まず、極めて低い声、ほぼ無表情、しかし威厳のある形で学習上のルールを読み上げます。ルールといっても以下のようなことなのですが・・・
(ア)基本的には出席はとる。理由の如何にかかわらず、5回以上の欠席に対して単位は認定できない。
(イ)提出物が期限より遅れた場合は受け取らないことを原則とする。
(ウ)授業中は教員の合図に基づいて行動する。
(エ)携帯はマナー・モードにする。授業中、携帯電話を使用しない。メールをしたり、私語の甚だしいものは、履修許可を取り消す。
(オ)配布教材、教科書などでわからない言葉がある場合、読み方、意味を辞書を引いて、調べておくこと。
(カ)発言を求められたら、速やかに日本語の文として答えること。体言止めはしない。
(キ)グループ作業、ペア作業のときはしっかり議論する。
(ク)発言を求められたら、パスをしない。
(ケ)授業開始20分後の入室は認めない。
(コ)なんらかの問題があるときは、速やかに教員に相談すること。
最後に、「以上のようなルールを守ることができない、あるいは、こんなクラスはやっていられないと思う人は2分差し上げますから、その間に出て行ってください。」と冷たく言い放ちます。
(やはり、英国王立演劇アカデミーのワークショップに参加して4年目の私の冷酷な言い方はインパクトがあるらしく、このときばかりは学生は私語をやめて、引きつった表情です。)
2分の間に15名程度が退出します。まあ、これは場の雰囲気の問題ですが、ルール自体は授業参加する人の義務というレベルでは多分、多くの人にとっての「常識」だとは思うのですが。
それでも、このストレスに耐え切れず出て行く学生であれば、それは「覚悟」の問題で、私は学生に「覚悟」させるために、あえて大芝居を打っています。
いわゆるグラウンド・ルールの合意形成の段階をを授業参加の覚悟のための踏み絵にしているわけです。
悲しいことに「この先生、怒らせたら怖い!」というイメージを植えつけて、彼ら自身が行動を律するきっかけを作る必要性を昨今、感じているからです。実際、その初日ですら、授業開始後、10分過ぎて、なんの言い訳もなく平気で教室の席に着こうとする学生10名程度、私語を続ける学生が多々見受けられました。
今や、私は大学の学部の授業は、講義の内容以前に「躾の場」と考えている状態です。嘆かわしいことですが、基本的な教室内の常識すら崩れている現状に対して、大芝居を打っています。しかも、私の一番嫌いな権威的な雰囲気を使って。
ああ、「躾」じゃなくて、「学問」を教えたいです!
2009年9月19日 06:02
9月になって、またまた研修で全国を回っている状態でさすがに疲労がたまりつつある鈴木有香です。そんなとき、私が行くのは既にコリアン・タウン化している新大久保の女性専用サウナの垢すりです。
もちろん、垢すりとマッサージをしてくださるのは上下黒い下着をつけた韓国人のおばさんで、日本語も最低限しかわからないようです。
後楽園のラクーアや他のスパ施設と異なっているのは、あくまで韓流というところでしょうか。形式美より実質という感じです。
後楽園のラクーアなど日本人のお客さん対応を意識しているところの垢すりの特徴を箇条書きにしてみましょう。
1)従業員はユニフォームを着ている。
2)垢すりマットに上がる際など、御客さんの裸が見えないようにバスタオルで覆ってくれる。
3)マットに寝た際は局部にタオルを置く。身体の向きを変える際も、極力、恥部が見えないような配慮をする。
ところが、韓国人おばさんはそれぞれ自分の個性ある黒い下着で登場します。そして、裸に関しては非常に大らかです。お客はスッポンポンで自力でマットに上がり、その後、タオルで局部を隠そうものなら、取り外されます。まさに、生まれたままの姿で横たわる状態のところへ、垢すりが始まります。隠す場所はありません。そして、ギリギリのところまでゴシゴシと力強く洗い落とします。本当に値段以上の価値のあるアカスリ+マッサージなのです。
初めてのときは、さすがに恥ずかしかった私ですが、何回かやるうちに、慣れてきました。あの恥じらいは、どこへやら・・・です。
「もしかして、この恥ずかしいという感覚自体が1つの文化??」
そういえば、米国で大学のシャワー室なんて女性同士だとけっこう裸を隠さずにいた人もいたし、中国の古い形式のトイレは壁などなく、相手がしている姿も見え、自分のしている姿も見られる状態だったことなどを思い出しました。
何が恥ずかしいというのも、ある文化的な常識についての教育の賜物でした。
さらにこの恥ずかしさという感覚が世代間の常識や今という時代性でも異なりますね。
1)あなたにとって、路チュー(路上でのキス)は恥ずかしいことでしょうか?
2)あなたにとって露出の多い服を着ることは恥ずかしいことでしょうか?
3)あなたにとって、性的な内容の話を初対面に近い人と話すことは恥ずかしいことでしょうか。
渡米前の私の感覚と常識では上記の全てが恥ずかしいことでした。でも、米国の場合、上記のことが割合カジュアルに行われていました。そして、今の日本の東京では上記のことを結構、目撃したりします。
今の日本の常識のスタンダードなレベルをどなたか教えていただけませんか。
2009年9月12日 00:53
どうも55年体制が崩れて、自民党が野党になったということでワイドショーもかなり政権交代に関する話題が閉めているのですが、そんなとき、ふとTBSでやっていた「官僚たちの夏」という昭和の高度経済成長の礎を築こうとした通産官僚たちの野望と出世とのドラマを見た鈴木有香です。
第一の感想、「よく飲むな!」
第二の感想、「コミュニケーションが熱い!」
第三の感想、「昭和は既に時代劇!」
明らかにコミュニケーションが違うのです!!
なぜかといえば、それは通信技術という環境的要因ではないかと思われます。
なんといっても東京オリンピック前の昭和な世界は「冷蔵庫」が普及し始めて、主婦が大喜び!テレビの前では正座で鑑賞!そして、電話の普及なんてまだ夢という時代です。
となれば、基本的にコミュニケーションはフェイス・トゥー・フェイスで必ず人に会って話す時代だったんだと再認識した次第です。職場で顔を合わせ、仕事の不満も赤提灯で話し、酔ったまま、上司の家でも話し込む。声、表情、身振り手振りから、コミュニケーションの熱気が伝わります。非常に感情が豊かです。そして、人間関係が濃い、そこに「絆」を感じます。 官僚であっても!!
通産省の政策いかんでは会社の存続に大きく関わる中小企業の経営者もガンガン官僚に反論したりと「Noと言えない日本人」というカテゴリーに分類できません。みんな必死なやり取りをしています。
佐藤浩一の演じるMr.通産官僚風越さん、ぐいぐい熱い正論で戦っていき、部下を引っ張っていきます。風越が走りすぎると、部下や新聞記者が赤提灯で非公式に彼に忠告したりと、それぞれが意見をぶつける場面が幾度かあります。重要な決定、チームの結束性を強めるのは実はこうした非公式的なコミュニケーションだと言われていますが、そうした例が満載されていました。
いつの頃か、「ビジネスとプライベートは区別する。」、「ビジネスに感情は持ち込むな、論理的に行け!」というようなスタンスがあたかも常識のように語られるようになったのでしょうか?
でも、それを可能にする環境も高度経済成長以降、整ってきたのだろうと思います。隣人と顔を付き合わせていた長屋はいつの間にか、隣人が誰かも知らないマンション生活へ。電話、ポケベル、パソコン、携帯電話と対面して人に会わなくても話ができたり、話をしないでも文字情報でやりとりができる。便利な反面、表情から読み取る真意、声や息遣いから感じる真剣度など、対面の空気が伝える何かが多く欠落しています。(本当は「空気を読む」ことが困難になっている環境なんですよ!!)
「コミュニケーション研修」をしていて、若い人と年配の人とどちらが上達するかということを考えると、どうも40代以上の年配層に軍配が上がるように思います。なぜなら、彼らは昭和の熱い対面コミュニケーションの経験があるので、その経験や感覚を思い出させることで行動の変化が容易だからです。言葉と感情をつなげる身体があるのです。
バーチャルなコミュニケーションの前に生身の人間のコミュニケーションの経験値をしっかり持っていた世代の今後の課題は異論を排除する従来の議論ではなく、異なる世代や人々をつなげる建設的コミュニケーションなんだろうと思いました。
民主党さん、いい意味での議論のお手本をぜひ国会で示してください!!
2009年9月 6日 01:08
椰子の木の鳥を見て「あれはナイチンゲールではない、雲雀の声、まだ朝ではない。」とハワイで色黒になったジュリエット・有香です。その余韻のまま、神奈川県にある女子短大の夏期講習で「パフォーマンス研究」というタイトルで自己表現力アップの授業を展開しました。
初日は「いったい何をやるんだ?」「こんな授業ついていけるの?」という感じだったと学生たちは思っていたのではと思います。20歳前後の若い乙女たちは、テレと恥じらいが邪魔して、なかなか身体が思うように動きません。また、パソコンや携帯電話が生まれたときからある環境においては、視野が狭まって外界との身体のつながりが非常に薄いようです。「自分自身の声が好きではない」という人の割合も高く、何か自分に自信が持てないはかなさを感じました。
しかーし、ボイス・トレーナーの久美ちゃんをはじめ、役者の方々の協力の中で彼女たちは徐々に自分の生の姿を自分自身で感じていったように思います。
ステップ バイ ステップで、身体、心を緩め、解放させていく中で、顔や声に表情が出始めました。そして、最終日の1日前、「これはいける!!」と思ったので、例の「ロミオとジュリエット」の二人の初めての朝の場面をやらせたのです。ロミオ役は俳優のトモくんです。
最終課題は死を恐れて、町を後にしなければならないロミオをジュリエットが「いかないで!!」とすがり、翻意させるところ。もし、ジュリエットの気持ちが弱ければ、ロミオは教室の外に出てしまうというルールです。
脚本分析力に優れているディランはロミオが反論するたびに、論理で説得しようとして、「じゃあ、5分いるよ。」で交渉成立。でも、知性ではオトコはいつきません。
いつも活動の途中でふざけ笑いをしてその場を逃げるキャサリンがトモくんの真剣な演技指導の後、ジュリエットをやりました。すると、いつも低めの彼女の声が絹糸の光のような声になっていました。テレを取り外した彼女の中にある素直な何かが声になっていたのです。
乙女ユリちゃんはイメージが生まれると、心底その表情が生まれるタイプ。横開きのぺたぺたした声がジュリエットになったとき、乙女の清純さと女の艶やかさを持った声になり、必死の愛くるしい目でロミオに訴えるのです。トモくんもそれに魅入られ、「ここにいるよ。」と言ってしまいました。「ガラスの仮面」で言えば、天才少女マヤのタイプです。
そして、何か失敗を恐れるようなちょっと怯えて、自信なさげに見えるさっちゃん。昨日の立ち稽古ではロミオに逃げられぱなしでしたが、今日は何かが違いました。読み合わせのとき、しっかりと目的を持った凛々しい声になっていました。彼女の真剣さが弱さではなく、芯の強さを感じさせる声に変わっていました。そして、この最終日に、彼女の身体は緊張していたものの、必死の形相と声でロミオを引き止めました。
「よかった!!」
なんかとても私は嬉しかったんです。真剣になるのに照れていたりする若い彼女らが役者の青年の真剣さに答え、渾身のエネルギーを出し切ろうとしたのがとても嬉しかったのです。そして、その瞬間に、一人ひとりが心地よい自信の伴った美しい声を出し、自分自身を少し好きになれたのであれば、この授業も意味があったといえると思ったのです。
そして、IT環境の中で対人コミュニケーションが苦手な若い世代に対し、演劇的手法や役者や様々な人とのインターアクションが大きな意味を持つと確信できました。
(注意:学生の名前は全て仮称です。)