
2009年8月29日 23:11
アローハ!共同研究の学会発表でハワイに行ってきた鈴木有香です。もちろん、その直前まで、ヴォイス・トレーニングを受けているものですから、マイクなしでも絶好調な共鳴の伴った声を発することはできたのですが、英語の発音までは手が回りません(口も舌もまわりません)でした。
ハワイは観光地だけあって、お店が23時ごろまでやっているところがあります。それで私が何をしたかというと、典型的日本人女性の行動「ショッピング」です。ただし、理由は「ブランド品」ではなく、「サイズ」でした。
そう、ポジティブに言えば「ふくよか」、ネガティブに言えば「デブ」な私は国内では一般的なサイズのコーナーでほとんど服、下着が買えず、恥らっていわゆる「Lサイズ」コーナーにいく女なのです。
一般に日本国内の店でおいてある女性服のサイズは7,9,11号で、時に13号までです。あるいはSかMサイズの2つのサイズしかありません。それ以外のサイズは「小さい方専用」、「大きい方専用」売り場に行かないと手に入りにくいです。 私は自分のサイズのコーナーに行くたびに、「お前は普通じゃない」と社会から烙印を押されている気分で暗くなります。
「やはり、大きいサイズを買うのをためらわれて、Lを買わずにMになさる方も多いので、Mサイズを多くおいています。しかも、売り場面積にも限りがありますから。」というのがバイヤーやメーカーの視点です。
そして、消費者も洋服のサイズに合わせようとします。
「やっぱり、それを目標に痩せたいし・・・」とか、「大きいサイズ買うの恥ずかしいし」といった理由があります。
でも、自分のサイズに合った服がその人を最もすっきり魅力的に見せるのが洋服です。そもそも昔は個々人のサイズに合わせた型紙から作っていたのが洋服の始まりです。洋服は個人の体型に合わせて作る発想のものなのです。
一方、「着物」というのは非常に柔軟な発想のもので、伝統的にはサイズは細かく分かれていません。むしろ、痩せている人には詰め物をしたり、太った人はサラシを巻いたりと、自分の身体をその着物大きさに合わせるように着こなしています。
アメリカの一般的な店はサイズで言えば、7号から17号、SSからLLサイズまでは置いてあります。米国人の身体のサイズが大きい人が多いという理由もありますが、普通という範囲が広く、サイズの種類が豊富にあります。格安大量販売店にいくと、そのサイズは5号から21号までくらいあります。ですから、消費者も洋服のサイズに合わせるより、「自分の身体に合うサイズを探す」という行動ができます。
日本での一般的な服装はいまや洋服です。みなさんは洋服のサイズに自分を合わせようとしますか?それとも、あえて今の体型に合うサイズを探そうとしますか? 洋服ができてきた発想から考えると、「その人が最も美しくなる」という発想で品揃えや品選びを私たち自身が実行している、あるいは実行しやすい環境なのかな???と国内規格はずれの私は思うのです。
もう少し、普通の幅を広げましょうよ!!
これって、異文化コミュニケーションの基本でしたね。
2009年8月23日 05:48
夏になると海ではなく、ジャージ姿で稽古場に通う鈴木有香です。今年もRADA(英国王立演劇アカデミー)トレーニング・システムのワークショップを俳優さんとともに受けています。演劇というと一歩引かれる方も多いと思いますが、何をやるかといえば、五感の解放と身体感覚を研ぎ澄ます訓練がメインといえます。その上で、脚本を分析したり、声をのせていったりします。
今回の気づきは「声」のことです。演劇は相手の胸に伝わる「声」が重要です。でも、これは声の大きさではありません。もちろん、共鳴する場所を意識する発声や発音などの技術的な問題はあるのですが、心に伝わる声は台詞の一語一語の意味をしっかりイメージし、自分の体験からくる感情と結び合わせることも重要です。
さて、ヴォイス・トレーニングで私に渡された台詞はジュリエットが初めてロミオと一夜を過ごし、一緒に朝を迎えたシーンのものでした。
ジュリエット「もうお帰りになるの? まだ朝にはならない。あれは夜鳴鶯、雲雀ではありません、怯えきったその耳に今聞こえたのは・・・・」
家の者に見つかると殺されてしまうロミオと分かっていても、このままずぅーと、ロミオと一緒にいたい気持ちがいっぱいのジュリエットの台詞です。
私はイメージしました。「朝」を「夕方」に、「寝室」を「テムズ川のほとり」に、「雲雀の声」は 「ビッグ・ベンの鐘の音」に置き換えました。私の人生の中で一番の喜びの中にあった非常に悲しい別れの場面を投影させたのです。すると、あのときの切ない重みが身体に蘇り、声がメゾソプラノになり、自然と涙が出てくるのです。
私の場合、ある年齢から感情の抑制が強くて、自分のことでは涙が出ないのですが、ジュリエットの台詞が体内に溶け込むとき、自分の抑制された感情の発露がでてきたように思います。
「行かないで。ずっと、一緒にいて。」
そんなふうに、素直な感情を素直に重要な人に言うことができず、今日までに到っているわけですが、あの時、あの人に言いたかったのは「その言葉だったんだ!」と今頃思っているわけです。14歳のジュリエットができたことを30過ぎの私はできなかったのですが・・・・。ジュリエット、君は幸せ者だよ。ある意味!
このシーンのジュリエットの台詞はあのときの気持ちを思い出すと、何度でも涙が出るから不思議です。ちなみに、その台詞を言っているとき、私の頭を支えていた人が「頭蓋骨全てが振動し、その振動が自分にも伝わってくる。」と言いました。すると、ヴォイスの先生が「それ、それが大切なの。できたわね。」と言いました。声の振動が相手の心を震わすのかもしれません。
私はかなり頭でっかちで、思考と論理が優先して、自分の感情を率直に表現する言葉を一番重要なときに出すことができませんでした。そして、今の日常生活の自分の声というのは習慣的なもので、自分自身の身体と心と声がつながるときの声は別にあるということに気がついた次第です。
2009年8月16日 02:46
東京もなんだか、亜熱帯のようになり、時折のスコールじみた雨で、服がびしょびしょになり、思わずグラビアアイドルのようなポーズをとって遊んでしまう鈴木有香です。
このところ、「昭和ブーム」が続いていて、リリー・フランキー、北野たけし、武田鉄矢の自伝的な小説を読んでみて、感じた共通点は「ふんぞり返っているけど、気弱で生活力に欠くお父さん」対「気丈で子どもを食べさせるために必死で働くお母さん」です。ただし、当時の時代背景ではそうした「主婦」の労働力は一般的な「仕事」として認知されていません。朝は新聞配達、、豆腐屋のバイト、昼間はタバコ屋を営みつつ洋裁の内職を夜遅くまでやり、その間家族の食事の準備に後片付け、洗濯、姑の世話に子どもの心配、教育。そんな多くの仕事をしていても社会的には「主婦」という身分なんです。
私の母は定年まで中学の教員をやっていました。まあ、共働きではなければ、私も弟も私立の大学にはいけなかったと思います。でも、我が家の場合は、家事は子どもの仕事で弟と私が当番でやっていました。
最近、研修アシスタントをしてくれているSちゃんも共働きのご両親のおかげで大学を終え、その後は米国の大学院ではアルバイトを掛け持ちながら、両親にお金の心配をさせずに博士を取得して帰国しました。そのハードな生活はまさに爪に火をともしつつ、寝る間を惜しんで勉強ということになります。20代のOLとして若さを利用してキラキラできる期間の8年間全てを学業にかけていたわけです。
その汗みどろで得た「博士」という学位をいかして、専門分野で自分の仕事を確立したいというのがSちゃんの夢でもあります。そんなSちゃんが友人の日本人男性(30代前半)に、「君の8年と将来の子どもの20年、どちらが重要なの?」と言われ、かなり傷つき、ショックだったらしいです。つまり「結婚したら、自分の仕事より子育てが重要だろう。」と言われたからです。
この発言者の思い込みをSちゃんと私で分析すると、以下の3点が浮上しました。
① 子育ては女性がメインにやる仕事。
② 子育ても、仕事も本気の仕事で両立は難しい。
③ 親は子どものために自己犠牲することは当然。
①の場合は性別役割分担の意識の問題です。授乳だけは女性しかできないかもしれませんが、あとは個性と能力で性別は関係ないでしょう。また、女性のほうが多く稼ぎ、男性が子ども好きなら、父親がメインでやってもいいし、基本的には夫婦2名で協力しあう協働作業じゃないかとも思います。因みに我が家は父のほうが家事は得意でしたし、幼少期は主に祖父母に育てられていた私です。でも、ぜんぜん寂しくありませんでした。
②の場合、これはワーク&ライフの問題で日本の社会が仕事と家庭が両立しやすいシステムや職場を形成しているかという点になります。私の母やSちゃんのお母様が公務員を選んだのは、自分の好み以前に、当時、女性が子育てをしても仕事が続けられる職業が限られていたからです。
母の時代は教師の流産が多かったそうです。それで、産休を整えるように要求した組合運動があったから、私を無事に生むことができたと言っていました。少子化の問題は個人だけの問題でなく社会や制度の問題であると私が強く考えるのはこの点からです。
男性にとっても育児休暇が気兼ねなくとれる、残業をしなくてもよい労働条件などの整備も子育てには重要でしょう。また、派遣、パートなど雇用条件に関係なく、育児に対する社会的支援がなければ、少子化は止らない事は20年前から言われていました。
③の場合、「あんたが生まれたから私は好きなことができなかった。」と虐待される子ども、親の自己実現のために幼稚園のころから無理やり塾を掛け持ちさせられ、精神的に追い込まれるケースもあります。「全てはあなたのために、お母さんは一生懸命なの」と自己犠牲をアピールします。このような場合と比べると、「今日はお母さん、同僚と飲んでくるから、夕食はいらない。」と言っていた我が母のたくましさ。
両親曰く、「そのための家事能力は全て身に付けさせた。」
弟と私は「今日は主人が帰ってこないから、気が楽よ。」という精神状態をすでに理解していた小学生でした。
アジア諸国の比較でも子育てが「母親」だけに重くのしかかるのはどうも日本だけらしいです。他国では父親、祖父母、メイド、親族一同、地域など、様々な支援を受けつつ、子どもは様々な形で育っていっているのが現実のようです。
2009年8月 9日 01:01
久しぶりに、躾でなく、学問的なことを教えることの喜びに打ち震えていた鈴木有香です。関西大学の大学院で4日間「交渉学」の集中授業をしてきました。山の上のキャンパスは通学には不便ですが、見晴らしは最高です。
ちょっと、シャイで、コミュニケーションが苦手と思っている若い衆に囲まれていたのですが、第一印象は、関西アクセントが薄く、関東アクセントの私と話すときは簡単にコード・スイッチ(言語を切り替える)ということです。
これまで、兵庫、大阪、京都、滋賀などの年齢層の高い士業の団体の研修で、何度も関西人には会っているのですが、私に合わせてアクセントが変わることはありませんでした。
これについては、①生まれたときからテレビがある生活をしていて、関東アクセントを聞きなれている。②大学は留学生も含めて、様々なアクセントのある学生がいるので、全体的にアクセントが薄まる。③若い世代の関西アクセントは旧世代と異なる。という仮説を立てていますが、ご存知の方がいらしたら、教えてください。
さて、私の授業はパワーポイント、DVD,ビデオなど様々な器機を使うのですが、困ることは場所によって、機械の使い方が異なり、メカ嫌いの私はお手上げになります。しかし、今回は優秀な大学院生が機械の扱い方を全て心得ており、全てをスムーズにやってくれました。ハイテク(?)分野は明らかに彼らの技能のほうが上です。
先日、大学時代の旧友からこんなメールが来ました。
「会社存続のため、コスト削減で、若いもんが業務の中心になり、知識や経験という言葉も経営陣から聞かれず、これも新たな年功序列かねー!?」
そう、「新しい技術」という面では、従来の年功序列がきかなくなるんですよね。同様のことをイギリスの定年退職した建築家の友人(62歳)が言っていました。「僕たちの時代は複雑な設計図を書く、コストの計算をするなどには、ものすごい時間を勉強にかけた。でも、今はそれをコンピュータがやるので、そうした技術に対してのリスペクトはなくなったね。」
ヨーロッパでは建築学というのは芸術の領域にはいり、医者や弁護士と同じくらい、大学、大学院で7年間は学ばなければならなかったそうです。暇な時間はいつも美術館でデッサンの練習をしていたそうです。
機械に頼らない職人の技術やコンピュータができないような経験に基づく直感や霊的な感性が必要とするような判断(例えば、共同体の長老)においては、やはり「歳の功」や修行年齢というのは価値のあるものであり、そういう場面は昔のほうが社会の随所にあったのではないでしょうか。そして、それに基づく「年配者」への尊敬があったのかもしれません。
一方、IT技術や新たな技術がそうした職人芸や判断を凌駕するとき、それまでの地位や序列が人々の心の中で崩れていくのかもしれません。ということは、機械がまねできない人間ならではの身体や心の豊かさ、コミュニケーション力というものに、我々年寄りは活路を見出す必要があるかもしれません。(ファシリテーターやカウンセラーをするコンピュータ、ほしくないです。)
さて、関大生の私へのリスペクトは、どのくらいなもんでしょうか????
2009年8月 2日 04:41
皆既日食を見に、悪石島をはじめ空をみる旅行ツアーが開催されていたとき、東京はどんより曇り、時々雨がぱらつく状態で日食を見ることがかなわなかった鈴木有香です。といっても、晴れていたからといって、日食が見えたかとも思えない空の様子もまた東京なのかもしれません。
「智恵子は東京に空がないといった」という高村光太郎の詩がリアルに響きます。
家の周辺から空を見上げても視界の40パーセントぐらいしか空が見えないのです。ビル、ビル、ビル、そして新しく開通した舎人線のモノレールが私の視界を遮ります。
私はいつの間にか空を見ることをやめ、星があることすら忘れていたように思います。そう考えると、環境は自分の日々の些細な行動や感性にかなり影響を与えているのではないかと思います。
先日、仕事で熊本にいったとき、第一に思ったのが、「空が広い」ということでした。実質的には無限の広さに対して、そんなコメントを持つ自分の感覚がかなり人工的で怪しいものになっていると思いました。高いビルがあまりなく、研修会場の大きな窓からは澄み渡った空が周辺の山々に向かって広がっていました。なんとなく、心が大らかに広がる感覚を得ました。
夜になると、空はさらに無限に広がっていくような感じがします。そして、キラキラと光るものが見えます。「あ、星だ。」と声を上げながら、最後に星を見た日はいつだったかと数える始末でした。
日常生活で感じる私にとっての星はもはやリアルに存在する星ではなく、タロットカードの星だったり、合衆国国旗の星だったり、シンボルとしての星になっていました。現実にあるものでなく、人工的なものなのです。コンピュータ・ゲーム廃人には幸いなっていないのですが、自然にあるもの、現実よりも、バーチャルなものに囲まれている点では似ているのではないかとふと思いましたもしかしたら、自分の五感が徐々に狂っていってしまっているのじゃないかなという恐れを感じました。
都心の生活で、勤務先と自宅の往復の中で、どれだけの移りゆく自然を感じているのだろうか?自然の微小な変化を感じ取る力は、また人の何気ない表情とか変化を感じる力と関係していないだろうか。
エアコンや様々な電化製品のおかげで、ある一定の温度で、明るさで快適に生活していますが、それは微妙な変化を拒絶することでもあるとも言えるでしょう。一方で、変化しないものは何かと考えると、でてきません。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。」
鴨さんのような無常観には陥りたくはないのですが、自然の変化を感じつつ、人の心の変化にも繊細でありたいと思います。
それには、まず、時とともに変化する空を思いっきり鑑賞したいです。