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チェンジ ザ コミュニケーション ~多様性を楽しむコンフリクト・マネジメント

2009年3月

2009年3月29日 17:49

第6回 私を「先生」と呼ばないで

最近、私を「ゆか」と呼び捨てにする怖いもの知らずの日本人に出会った鈴木有香です。

というのも、みなさん自分の下の名前を敬称つけずに呼ぶ人は何人いますか。 私の場合、両親と母方の祖父母、叔父、叔母たちだけからしか「有香」と呼ばれたことはありませんでした。


子どものころから、ちょっぴり優等生で、しっかり者のポジションを得ていた私は大学のサークルの先輩からも「有香さん」と呼ばれていたこともあります。ちなみに他の女の子は「・・ちゃん」と呼ばれていたような気がします。ここにある種の人間関係の距離とニュアンスを感じとっていただいていたら、あなたはすでにコミュニケーション学にはまっていますよ。

卒業後、日本語教師をしばらくやっていました。学生は日本でも米国でも「鈴木先生」と呼ばせているのが日本語教育の現場です。しかし、「先生」というのはなかなかなじめませんでした。私の母は中学校教員をやっていたのですが、生徒に敬愛の眼差しで「先生」と呼ばれる反面、家庭の「先生じゃない」母親の欠点ばかりが目に付いていた私には「先生」という単語が非常に怪しくも危ういものと感じていたからです。


一方、米国での同僚や秘書などは最初から私を「YUKA」とファースト・ネームで呼びました。これはかなり衝撃的でした。そのとき、初めて自分を「ゆか」と呼ぶ人間が日本ではとても限られた人間関係だけであったことを意識したのです。「簡単に有香、有香、呼ぶんじゃねーよ。」と心の中で思っていたテネシー州での3年間の生活です。そのときの感覚では他人からは「鈴木さん」と呼ばれたかったのです。でも、同僚の夫になった生物学の教授のカールさんは「何て呼ばれたいですか?」と初対面の時に聞いてくれ、その後、「スズキさーん」と妙なアクセントで呼び続けてくれたことがとても嬉しかったと記憶しています。


ニューヨークで大学院に行きながら、慶応NYアカデミーでも教えていたころは、生徒から「先生」、同僚の先生には「鈴木さん」、大学院の教授、クラスメイト、ルームメイトからは「YUKA」と呼ばれ、仲のいい日本人の友人には「有香ちゃん」と呼ばれていました。悪友の日本人男性からは「鈴木」と5通りで呼ばれていました。米国生活に慣れていくうちに、だんだん「鈴木さん」から「有香ちゃん」と呼ばれるのが気持ちよくなってきました。また、大学院では社会人の学生も多く、教授陣も学生もお互いにファースト・ネームで呼び合い、けっこう対等な議論をしていました。そんな中で「先生」という日本語は私にとってはとても照れる敬称になっていきました。


今、私は企業研修を始め、自分より年配の方々や社会人の方に教えることも少なくありません。私はある分野の知識は受講者よりあるかもしれないけれど、本当のところの人生経験とかいろいろな面ではかなり浅学だったり、奥手なので、教室以外では「先生」とは呼ばれたくないと思っています。それで、研修中についた「ゆかぴー」というニックネームが気に入っており、社会人の方にはそう呼んでくれとお願いしています。

2009年3月23日 00:42

第5回 身体の感覚

 実は先週末身体の記憶と感覚に関する初体験をしてしまった鈴木有香です。ラッキーにも私はあまりトイレを我慢した経験がこれまでありませんでした。ところが、そんな私に東名高速での渋滞というシーンが先週末、用意されていたのです。 

「トイレに行きたい。」そんな軽い感覚を覚えて1時間は経過したころ、その感覚はお腹の重みに変わっていきました。その重みは油断すると蛇口からほとばしりそうな状態です。「有香ちゃん、想像してみよう。天からホースが降りてきて、そのホースが有香ちゃんのお腹から水を吸い出していく。そんなイメージをもってごらん。」と某有名大学の名誉教授K先生。がんばって想像してみるものの、こうしたイメージトレーニングが苦手な私はその「ホースをどこにつけるんだ?」という点で悩みだし、効果はありませんでした。 

車に乗っていたのはそのK先生と演出家で声優のCさん。渋滞にはまっても、コミュニケーション学、身体と感性の問題とかで話はもりあがっているので、楽しいのですが、私のお腹の滴たちは退出路を求めています。

そのとき、私の目に入るものは道路沿いの茂みのみです。そして、陸橋などに差し掛かり茂みがなくなると、無性に悲しくなっていました。そうです。万が一の場所しか見えないのです。これは視覚というものがどれほど、自分の目的や欲求によって決められるかといういい例です。これを同乗していた演出家のCさんに話すと、「すばらしい、これこそ感覚器と目的貫徹の統一のいい例だわ。」とおっしゃっていました。

「有香ちゃん、もう油汗がでてきてどうしようもないなら、教えて。路肩を走るから。」とK先生。「あの油汗ってどんなものですか?」と私。実は「油汗」という言葉は聞いたことがあるけど、それを感じたことのない私には「何が油汗か」がわからない。 これは体験や意識したことのないものを識別する、認知することが難しいという1つのいい例でしょう。

「ああ、もうあの茂みにいきたい!!」心でそう思いつつ、30分、しかし300メートルも進んでいない。

後部座席にのっている私の呼吸とか声色から何かを察したのかK先生、出口まで4.5キロメートルくらいのところで、一気に路肩を走ってくださいました。言葉にならない感情を察するスキルです!!

「あー。出口だ!!」と意識した途端、ある種の安らぎと開放感を得た10秒間、私は尿意を感じなくなりました。ところが、出口から一般道路にでるまで、また車の列です。再び、尿意に襲われ、茂みを見てしまう私。「ああ、でも、ここで出たとしても歩けるだろうか?歩いたとたん、全てが出てしまうかも・・・・」とすら思っている私。

 

幸い渋滞を潜り抜け、Cさんがファミレスを見つけました。「ゆっくり歩いて」とCさんに支えられながら、トイレに直行、子どもがぬれた床を見て「ああ、汚い」と入るのを躊躇している瞬間に部屋に突入。ゆっくり、しかも着実に、下半身への注意は緩めずにジーンズを下ろす。そして・・・・        

解放!!!    

 

ところが、事が済んでも、あの膀胱に加わった重みがいっこうになくなっていない。 もう、一滴たりともでないことを何度も確認しているのにも関わらず、お腹への圧力が残っている。

「そうか、身体への記憶は残っているんだ。」 

まさに、身体の不思議です。

 

ちなみに実はK先生もかなり我慢をされていたようなんですが、彼は「僕はどうもあのイメージ戦略が聞いたみたいだった。」とおっしゃっていました。さすがに、デジタルだけでは説明しきれないアナログ的な気功や身体エネルギーなどについても洞察をさらに深められようとしているK先生はある種の意識操作、感覚操作をなさっていたわけです。

 それで、今日は何が言いたいかをまとめると、「私たちが意識して脳に取り入れている情報は全く客観的ではなく、自分の身体や心の状態に合わせて限られたものしか見たり、聞いたりしかしていない。」ということです。だから、私の言う事実とあなたのいう事実が違うことって簡単に起こりうるということです。

 私が人生の中でこんなに真剣に道路沿いの茂みしか見ていなかったとき、Cさんはラジオの微妙な雑音の入り方を気にしていたし、K先生はナビゲーターが渋滞を示していなかったことを意識していらっしゃいました。同じ空間にいた3人は三者三様に異なる情報を受け取ろうとしていました。 

2009年3月16日 00:33

第4回 ハメをはずそう!!

 うわー!! ブログってすごいですね。「面識のない方からもコメントがもらえる」ということに新鮮に驚いている鈴木有香です。とりあえず、この場は私が私の視点を提示して、それに対してみなさんがみなさん自身の意見をいってくれれば、それだけ世の中には違う見方や考え方があると読者のみなさんが思える場であればいいと思っています。

 「ブレーン・ストーミング」という方法をご存知ですか。原因究明や解決方法などを探るとき、いろいろなアイディアを出し合って練り上げていくものです。「頭脳(ブレーン)」に「突撃(ストーム)」を与えるぐらい知恵を振り絞ろうというやり方です。

ブレーン・ストーミングのやり方は様々なものがありますが、原則としては「相手の意見を否定しない」ということが広く知られています。あとは、「アイディアの質より量」、「奇抜なアイディア大歓迎」といった原則があります。

研修でやる簡単なブレーン・ストーミングの練習は3段階に分けてやります。

第一段階は事例に提示された問題を解決する案をできるだけたくさん出す段階。

このとき、前述した3つの原則で行います。

 

「相手の意見を否定しない。」これは割合うまくいきます。

 

「アイディアの質ではなく、数を出す。」 時間設定と目標のアイディア数を提示すると、けっこうがんばります。(5分間に30個以上のように具体的、かつ少し無理めな数を言うのがポイント。)

 

「創造的で、奇抜なアイディアを出す。」 

これがみなさん苦手なようです。「良い」、「悪い」、「実現不可能」とか考えず、とりあえず、誰もが考え付かないようなアイディアを出してほしいのですが、それができないのです。

「できない」というよりは、「どんなレベルが創造的か」というイメージが個々人にないのかもしれません。「グループの出し合ったアイディアで最も奇抜なアイディアを発表してください。」とお願いして、出してもらったアイディアのほとんどは他のグループのアイディアのリストにもあるものなのです。

「何が創造的、奇抜であるか?」、それが分からなくなるほど、日本の学校教育である種の「画一性」を育てることに成功したのかとさえ、思えるほどです。 みなさんは自分の学校生活を振り返ってみたとき、「みんなと違っていて」褒められた経験はありますか?それとも「みんなと違うから、同じにしなさい。」と指導を受けたほうですか? 私は完全に後者でした。

 

相手に合わせて「同じ」ことをやることも時には必要ですし、あえて相手に合わせず「違う」ことをやるのも必要なときもあります。特に、前例のない新しい変化に対応しなければならないときは、従来の発想を超えたアイディアが必要になってくることがよくあります。しかし、普段あまり奇抜なことを考えていないと、必要なときに奇抜なアイディアがでなくなってしまうのでは・・・と思うこともあります。

ということで、たまにはちょっとハメをはずしてみませんか?

2009年3月 9日 14:40

第3回 脱 謙遜カルチャー 続き

すみません、ローテクなため、前回のブログが途中で切れていたのに気がついた鈴木有香です。

続きで肯定的な感情をもたらす「自信」、「自尊心」、「自己信頼」について考えていきます。

スポーツ心理学では自分自身を信じる段階を3つに分けています。自信 (self-confidence)、自尊心(self-esteem)、自己信頼(self-belief)です。

自信は具体的な状況で表れるもので、周囲の状況の影響を受けやすいものです。例えば、「上司Aさんとならうまく話し合えるけど、上司Bさんとはうまくできない。」、あるいは「20人の前なら効果的にプレゼンテーションができるけど、50人の前では無理です。」といったようなことです。

自尊心は自分自身が人間として価値ある存在であると思っていることです。「私は誰とでも親しみやすい会話ができる。」「営業は自分の天職だ。」「私は家族のために働いている。」「私は子どものためなら何でもできる。」こうした自尊心は長期にわたって形成されるので、一時的な状況の変化や短期間ではかわることがありません

自己信頼は目標を達成するための自分の能力に揺ぎない信頼を自分自身に寄せることです。

「手ごわい交渉相手だけど、私の情報収集力、柔軟な対応で相手を必ず納得させられる。」

「今は失業してしまったけど、私は希望を持ち続ける才能がある、だから就職先を見つけることが必ずできる。」

そんな信念のようなものです。また、手ごわいライバルがいても、相手に対抗できる資質、性格、才能があり、うまくやれるという感情です。

こうしたポジティブな感情は結果としてポジティブな行動をもたらします。だから、自分自身をまず、優しく認めましょうよ。自分を素直に好きになる。労わってあげられれば、また他人を本当に労わることができるのです。

日本社会の儀礼上、謙遜を表明することは必要ですが、はったりではなく、どんなに些細なことであろうと自分が必ずできること、自分の中にある才能や長所をしっかり認めていくことは重要なことです。苦境にあればあるほど、自尊心や自己信頼が私たち自身を救ってくれます。

あ、でも、「自分は酒に飲まれない。」と酒を飲みながらいっているのは単なるホラ吹きですね。

2009年3月 6日 13:45

第3回 脱 謙遜カルチャー

人前で話すのは得意だけど、部屋の掃除が苦手な鈴木有香です。 

「散らかっていますが、どうぞ上がって。」と人を家に招待するとき言う人がいるのですが、外国人は「どうして、きれいな部屋なのにそんなこと言うんだろう?」と思うことがあるそうです。

 まあ、いわゆる日本文化の謙遜というやつですが、それが行き過ぎるとだんだん自分の長所とか見えなくなってくるようなことがありませんか。

某大学のクラスで「あなたの強みを書いてください。」といって、悩んでなかなか書けない学生が少なくないのです。それで、本当に「どうせ、おれAO入試だし、馬鹿だし・・・。」といっているんです。

 これ謙遜ではなくて、本人が信じ込んでいるんです。それで、何かやってもどうせ失敗する、うまくいかないなら、努力しなくてもうまくいかないほうが、省エネだと思っているようなんです。そういう若い人、みなさんの職場にも多くありませんか?

イチロー、水泳の北島選手、テニスのクルム伊達選手といった一流のアスリートは失敗をイメージするより成功や楽しさをイメージして試合に臨んでいます。イメージ・トレーニングの大切さはだれしもが認めるところです。それは周囲や環境がどんなに悪条件であろうと、ゆるぎない自己を持つことが自分のパフォーマンスに影響を与えていることを知っているからです

 スポーツ心理学では自分自身を信じる段階を3つに分けています。自信 (self-confidence)、自尊心(self-esteem)、自己信頼(self-belief)です。

自信は具体的な状況で表れるもので、周囲の状況の影響を受けやすいものです。例えば、「上司Aさんとならうまく話し合えるけど、上司Bさんとはうまくできない。」、あるいは「20人の前なら効果的にプレゼンテーションができるけど、50人の前では無理です。」といったようなことです。

プロフィール
ニックネームさん
鈴木有香(ゆかぴー)
早稲田大学紛争交渉研究所客員研究員、桜美林大学・亜細亜大学非常勤講師。コロンビア大学にて修士号取得。米国諸大学講師を経て現職。一部上場企業(外資系含)でリーダーシップ研修等担当。 著書に「交渉とミディエーション」(三修社)など。早稲田総研インターナショナル「コンフリクト・マネジメント」講師。詳細:http://www.quonb.jp/service/management/index.html
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