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チェンジ ザ コミュニケーション ~多様性を楽しむコンフリクト・マネジメント

2015年4月 1日 03:17

第280回 連載という文章修業の場

んだかんだいってコラムの連載が5年くらい続いた鈴木有香です。毎週、なんらかの読み物的なものを書いてくださいという依頼をこなしてきましたが、そうそう毎週うまいネタも見つからず、このところ締切り破りが頻繁になって申し訳ありませんでした。

あまり大きなことを言うのでなく、自分の日常生活の些細なことをとりあげて、視点の切り替えやコミュニケーションについての問題を述べていけたらと思っていましたが、うまくいったでしょうか。こう考えると清少納言は偉いなあと思います。自分の日々の中から「つれづれなるままに」エッセイを書き続けたわけですから。

仕事がら自分の関心の多くは教育に関係することになってしまったかもしれませんが、教育は人間の心の在り方や振る舞い方に大きく影響を与え、しいては未来を創る人々を育てるようなところがあるので何だかそれに関しては熱くなってしまうところがあります。自分自身、優等生ではなく、むしろ日本的な学校教育になじめなかったからこそ、異なるやり方、学び方があるよとお知らせし、自分なりに実践していくことを生業としたのかもしれません。

このエッセイの形は今回をもっていったん終了し、4月からはまた月一連載で新しい形のブログになることになりました。これまで、ゆかぴの唯我独尊的長文つぶやきにお付き合いくださってありがとうございます。私自身、読者のみなさまの励まし、ご協力を得つつ、こうした形で文章修業をさせていただきましたことを感謝申し上げます。ドラマティックな人生でなくても、日常のちょっとしたことを一瞬時間をとって振り返ってみることで文章を書くこの仕事は苦しい宿題でもありながら、自分自身の観察眼や振り返り力を伸ばすチャンスでもありました。そして、1人で修行をするのは辛いのですが、読者の皆様がいると思うだけで、つい「褒められたい」からやれる自分もいました。

本当にみなさまの応援ありがとうございました。

ではでは、4月で新年度がまた始まりますが、元気なスタートを切っていきましょう!

2015年4月 1日 03:15

第279回 歯医者に見る異文化

アメリカやフランスやオーストラリアに訪れるとき、言葉は違っても公共の交通機関の電車やバスの乗り方が同じだったり、どこか合理的なものが流れていてそれはどこか日本の都市生活にある常識から推測可能なところがあるように思える鈴木有香です。今回は初めて訪れたアジアの国でのちょっとしたハッピーな経験です。

旅行中に歯の詰め物が取れるのはけっこうがっかりな事件です。これから、まだまだ知らないおいしい現地の料理を楽しみにしているのに、歯がかけたゆえに思うように食べられないことは悲劇以外の何物でもありません。そんなとき、友人が「とれた銀を詰めるなら、歯医者に行けばいいじゃない。どうせ、物価がやすいのだから・・・・。」と申しました。

うーん、ここでは健康保険もきかないだろうけど、確かに物価はやすいしなあ。と思い、私はホテル内にある歯医者に行ってみました。必要な書類に名前を書いていましたが、住所の項目で「あの、旅行者なんで住所はないんです。」というと、「あ、そう、じゃあ、いいよお。」と赤い花柄のブラウスの女性がいいます。「え、本当に名前だけでいいの?」と思ったのですが、そのまますぐに診察台へ案内されました。

歯医者さんの椅子、使い捨てのエプロン、施設の装備はアメリカの歯医者や日本の歯医者とは遜色ありません。そして、色白でフルメイクアップでダイヤモンドのピアスが美しい若い女医さんが登場しました。彼女は丁寧に私の歯を診察しています。「じゃあ歯のクリーニングをして、そして詰めて、値段はXXXね。」と説明もさわやかです。部屋は明るく、リラックス効果のあるBGMが流れています。

すると、「フフフン♪」とハミングが聞こえるではありませんか。なんと、歯をクリーニングしながら、女医さん気持ちよさそうにハミングしているのです。アメリカの病院、フランスの診療所、日本の病院経験の中で歌いだす医者は初めてです。別にふざけている訳でもなく、本人が楽しくやっていればいいんだと思いますし、それがご当地のリラックスした働き方ならそれでよしと思う私です。うーん、多分、労働観が違うのだろうと私の頭では翻訳されました。横を見ると、さっき受付で私に応対した赤い花柄ブラウスの女性も実は診察をしていました。白衣を着ていないから受付のおばさんと思っていた人は実はドクターだったのです。「ああ、服装で人を判断してはならないなあ!」と反省する私でした。

さて、お支払いの段階ですが、このクリニックはクレジットカードが使えないので現金で払わなければならなかったのでした。「うーん、日本円とドルはありますが、現地通貨はぎりぎりで・・・。」と言うと、この花柄ブラウスのおばちゃんドクター、「うーん、足りないならドルか円なら私が今日のレートで交換してもいいよ。」と言うのです。「え、そういう親切ありなの?」と思う私なのです。「だって、外国で初対面の人にお金を変えてもらう話って信用していいかわからないじゃない。」というニューヨーク的東京的には正しい判断基準のつもりです。しかし、おばちゃんドクター続けて言います。「来週、日本の花見に行くのよ。バケーションで。もう、3回目なのよね。孫はサンリオピューロランドが好きでまた行きたいって言うし。まあ、今回は桜が楽しみ!」と。平均世帯年収44.5万円のこの国のリッチ層はバケーションが家族そろって日本に花見で定宿は京王プラザだそうです。だから、おばちゃんドクターの申し出は親切以外の何物ではないとは思うのですが・・・・。私は後々何か面倒にならないかと思い、「とりあえず、自分で銀行へ行きますから。」と丁寧にお断りしながら、なんだか自分が猜疑心の塊のように思えてもしまったわけです。

ハミングする女医さん、白衣を着ないで受け付けもしてしまうおばちゃんドクター、親切な両替の申し出と日本の判断基準からすれば、明らかにプロフェッショナリティーに欠ける振る舞いですが、結果として腕は悪くもなく、私も気持ちよいコミュニケーションができてそれなりにハッピーでした。「働く」という基準を考えさせられた一場面でした。

2015年4月 1日 03:15

第278回 ネイル・サロンにみる異文化

もともと皮膚が弱く爪が紙のように薄くすぐ割れてしまう鈴木有香です。といってもそんな事情を知らない人々は私が今どきのネイル・サロンにオシャレで通う人だと思われているかもしれませんが。最近は科学技術の発展がネイル技術にも広がり、「ジェルネイル」と呼ばれるものはジェル状の樹脂をUVライトで固めるものです。つまり爪の表層に硬い爪をもう一枚つけるようなものなんですが、これが私には都合がいいのです。爪が固くなって割れなくなるからです。ですから、つけまつげつけて、キラキラのファッショナブルなお嬢さんがいるようなネイルサロンに恥ずかしながら、通っている次第です。

 最初は「こんな私が爪のおしゃれ??」なんてかなり抵抗があったのですが、それも徐々に慣れ、男性から見たら「なんでキラキラする石やら爪に絵が入っているんだ!わからない!!」と思われる小さなアートの世界に飛び込んでしまったわけです。そして、海外に行っても、ちょっと試しでやってしまうくらいの根性がつきました。

 日本はさすがに配慮の国、丁寧さの国、そして根付けやお米粒に絵を描いてしまうくらいに、極限の小さいものにすらこだわり美を追求する国です。ネイルサロンに行っても、まず手を洗ってもらい、前のネイルを完璧に落とし、一つ一つの指先を洗い、消毒します。そして、丁寧に、丁寧にジェルやマニキュアを塗り、最後にハンド・マッサージをしてくれる至れり尽せりのサービスです。

 最近、アジアのとある国で・・・・・、まあ値段が日本の20分の1くらいだったんで、思わず足の爪を塗るペディキュアをやったんです。まず、ネイルサロンの壁の両側に液晶テレビがかかっていました。まあ、お客さんが退屈しないようにという点ではいいのですが、店員さんも悪びれず、私の足を洗いつつ、塗りつつ、見ていました。一本一本丁寧に塗ってくれてはいるのですが、私は心の中で「大丈夫かな?」と思っていました。なぜなら、足の指は重なりやすいので、日本なら指先を広げるようなスポンジを指と指の間に挟むのですが、そんなことは何もせず店員は足を塗っていきました。結果、爪を乾かす段階で足の指が重なることに気づき、なんと店員さんは私の指の間に綿を詰めだしたのですが、その綿はあらかじめ用意されたものでなく、さっき、私の爪のマニュキアをふき取った使用済の綿を使いだしたのです。(日本だったらすでに捨てているものなのですが。)

 まあ、私も神経質ではないので、「それもお国柄・・・♪エコですね・・・♪」と受け入れていましたが、清潔、きれい好きの日本では絶対タブーなことがさらっと行われるのが異文化です。

 そんなこんなのサービスなのですが、結果的には別に日本でやるのとは変わらない出来栄えで、悪気のない明るい笑顔に送られサロンを出た私です。まあ、「衛生」とか「丁寧さ」というのもかなり主観的な基準なのですが、帰国して道にゴミが一つも落ちていない日本の道路を歩きながら、「きれい好き」というレベルが道路からネイル・サロンのサービスまでつながっているような気がしました。

2015年3月31日 01:31

第277回 李光耀(リー・クアンユー)氏を偲んで

 323日ごろはアジアのとある国を放浪していた鈴木有香です。そんなときにシンガポールの初代首相の李光耀氏の死をニュースで知りました。シンガポールというのは大学時代に東南アジア諸国連合(ASEAN)諸国についての研究会でたまたま担当になった国だったのですが、私にとっては、なにかとご縁のある国でした。

 シンガポールはマレー半島の最南端の国で1965年にマレーシアから追放される形で独立した都市国家です。周囲をマレーシア、インドネシアなどのイスラム国に囲まれつつ、独立を維持し、産業を発展させ、今や国民所得は日本を越えて世界第3位(IMF調べ、ちなみに日本は27位)になった国です。私が大学生の時は李首相は日本に占領されたこととかを恨みを持つのではなく、日本の戦後の復興に学べと「ルック イースト政策」を唱えていた時期です。はい、その政策は実現しました。水すら隣国のマレーシアから買っている小国が産業化を推し進め、今日へいたる基礎を「開発独裁」、「独裁政権」と言われるような強引なリーダーシップのもとで経済的繁栄をもたらしたのは李氏の大きな手腕であると思います。

 それでまだ、シンガポールが日本をお手本にしていたころ、私はシンガポール青年との交流会合宿に参加しました。そこで、シンガポールで様々な分野でプロフェッショナルとして働いている人々に出会いました。5月の日本に来て、「It's too dry (乾燥しているわ)」とお肌のアレを気にするシンガポール女性に、いったい熱帯はどんだけ蒸し暑いのか?なんて思ったりしてましたが、そこでこんな話を聞いたことを思い出しました。

 「この青年交流はシンガポール政府のバックアップできているけど、政府はこういう機会を高学歴の独身女性と独身男性を結びつけるのに利用しているのよ。」

 「え、政府が裏でお見合い作戦ですか。」

 「そう、高学歴者同士が結婚するようにいろいろ政府はしかけを作っているのよ。」

 

これ1980年代の会話なんですが、当時の李首相は1983年の建国記念集会で「高学歴女性がより多くの子どもを産み、その比率は下がらないようにすべきだ。」と言っているのです。

2015年、私の周りには高学歴の女性がたくさんいます。もちろん、結婚している人もいますが、「多くの子ども」を持つための支援やきっかけがなかったりする人は大勢います。「少子化」問題が最近起こっているように言われますが、30年以上前から国家のビジョンとして女性の活用を考えるリーダーがいる国もあったわけですね。実際、交流合宿でであったシンガポールの男性は共働きを普通として、家事や育児もやることを普通と捉えていました。最も、彼らがさらに豊かになってくると、住み込みでフィリピン人メイドをやとっていましたが。それでも、女性が能力を活かして働ける環境づくりを国家レベルでやっていたのは小国としての独立の維持の大きなポイントに人財という考えがあるように思われます。

2015年3月31日 01:29

第276回 恩師に連絡をとってみる

凧が上がらないと美術の単位が取れなかった都立I高校出身の鈴木有香です。もう、アラフィフであることを公式に認める開き直りができるようになった今日この頃、久しぶりに少女漫画を読んいでました。東林アキコ著「かくかくしかじか」という今年のマンガ大賞の作品です。美大に進学したい女子高生が通っていた絵画教室の熱血先生のお話しなのですが、それを読みながら「そうそう高校時代の自分って世界をこのくらいの幅と深さでしかみてなかったなあ。」とかフーと反省しつつ、自分の卒業した高校の美術の先生を思い出していました。

今は未成年の飲酒や喫煙は恐ろしく厳しくなりましたが、30年前の都立高校はまだまだ牧歌的で先生と生徒の不思議なつながりがありました。美術室の準備室はS先生の後リア兼生徒用カフェで生徒たちは勝手にやかんにお湯を沸かし紅茶を飲みながらそこでおしゃべりして、先生は勤務時間の16時が過ぎるとウィスキーを取り出して飲んでいるという世界です。もちろん、タバコも先生は吸っていました。それでも、これは大人と子どもの境界で私たちはあくまでお茶とお菓子だけですが。ただ、会話を楽しむ空間がありました。

最近、子どもの犯罪が取り上げられていて、その都度「学校の先生は何もしらなかったのか?」みたいな学校批判、教師批判がされますが、教師と生徒の牧歌的おしゃべり空間が作れなくなっているのは杓子定規の管理だったり、教員の事務作業が膨大に増え、子どもと大人が共有できる空間が学校になくなっているのかなあと思います。

S先生が担当した高校3年生のクラスはその時のつっぱり学生や留年した学生をまとめて引き取っていたように思います。彼は園芸部を作って、ちょっと学校に来たくないと思う学生をまとめてひきつれて花壇を作らせていました。学校行事に「けっ、くだらない!」と言いそうな学生を部活対抗リレーで園芸部で登場させていました。リヤカーやクワやスキを持っていたヤンキー学生が会場で大拍手で迎えられていました。

S先生はそんなふうに生徒に居場所を作ってあげられた先生なのだと思います。

私はアメリカにいったり、落ち着かない職業ライフの中でS先生の連絡先を失っていたのですが、最近はネットを通じてなんとか連絡をとれる人から住所と電話番号をゲットしてみたのです。

 すでに退職されて本来の創作活動にもどられているS先生の声は昔と同じに澄んでいましたが、話すペースが非常にゆっくりで、なんていうか悟りを開いた「尊師」のような風格を感じました。私は緊張したのかなんなのか早口でがーっと言ってしまったので、多分、声のペーシングが全くずれていました。

「秋に日比谷で個展やるから、その時に」と先生はゆっくりおっしゃいました。その時を私は楽しみにしたいと思いました。それまでに先生のご著書の「カラスの居る大学」読んでおきますね。

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