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トピック

アナログ原理主義者とデジタルネイティブ

  • ゲストユーザーまで公開
  • 2009年02月03日00時19分
皆さんのまわりにアナログ原理主義者はいませんか? デジタル技術を心の底から嫌っていて、できるだけ使うまいとしている人々のことです。

先日76歳になった私の父はその一人です。銀行ATMを絶対使おうとしません。誕生日に姉が携帯電話をプレゼントしようとすると、「俺の首に鈴をつけようたってそうは行くか」と拒否。私が「インターネットを始めたらどうか。世界中に友達ができて世界が広がるかも」と言うと、馬鹿にしたような笑みを浮かべて「近所付き合いすらおっくうなのに、何でそれ以外の連中なんかと付き合わなきゃならんのだ」と反論。尊敬する人物は誰かと尋ねられると、ネッド・ラッド(Ned Ludd)と答えるのが常。18世紀に産業の機械化に反対して、靴下編み機を破壊したイギリス人です。これだけだと父はどうしようもない偏屈のように思われるかもしれませんが、実際には文学や芸術の知識が豊かで、園芸にも詳しいなかなかの粋人なのです。

この正反対、つまりデジタルネイティブと呼ばれる人々も存在します。11歳になる私の甥はこの典型。物心ついたころには既にパソコンとインターネットがあって、幼稚園のお絵描きをペイントソフトでやったり、ケータイをおもちゃ代わりにして遊んだり、勝手にオンラインゲームをダウンロードしたりして、親をはらはらさせています。プレステのパワーユーザでもあり、勝手にハードウェアを拡張してあやしげな周辺機器を接続しています。HTMLの基礎を教えてやったら、3時間後には自分のホームページを立ち上げてしまいました。中学生になったらコンピュータ・クラブに入って、プログラミングをマスターするんだと張り切っています。しかし、国語の授業と読書感想文の宿題は大嫌い。そういえば本を読んでいるところを一度も見たことがありません。

皆さんはどちらに近いですか? 普通に考えると、私の父のようなタイプの人間は絶滅の危機に瀕していて、今後は私の甥に近いタイプの人間が増えていくものと予想できます。これは世の中にどういう変化をもたらすでしょうか?

英語で書きたい人はこちらでどうぞ:
http://www.quon.asia/sns/?m=sns&a=page_c_topic_detail&tar...

コメント 最新20件表示

1: 2009年01月26日 20時06分
この「デジタルネイティブ」という新語は、どうやらNHKのテレビ番組が起源のようです。このサイトで皆さんも自分のデジタルネイティブ度をチェックしてみましょう。

http://www.nhk.or.jp/digitalnative/

ちなみに私は90%。歳の割には高いデジタルネイティブ度のようです。

このサイトのことは、エージェント・スミスさんに教えていただきました。先生、ありがとうございました。

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2: msugaya 2009年01月26日 22時02分
 ぼくのデジタルネイティブ度は80%でした。ハードディスク・レコーダーは持っていないし(テレビを見ることが少ないので不要)、チャットは、あまりしません。300bpsで間に合うようなコミュニケーションに、100Mbpsの回線を使うのはもったいない……というケチくさい理由もありますが、一番の理由は、時間の割にやりとりできる情報量が少ないからでしょうか。

「セカンドライフ」は、いまだやっていますが、キャンプに放置して、リンデンドル稼ぎをしているだけです。

 ちなみにスミス先生の「実践教授設計論」という授業で、やはりデジタルネイティブについての話題を出し、同じNHKのテストのことを紹介したところ、別の人が、この言葉の出所を教えてくれました。

http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20061025/251769/

 米ガートナーリサーチ部門最高責任者のピーター・ソンダーガード氏という男性が提唱者のようで、アナログからの移民組は「デジタル・イミグレイト」だそうです(nativeという名詞に対応するなら、immigrateではなくimmigrantのような気もするのですが)。

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3: 2009年01月26日 22時06分
将来はもしかすると図書館がなくなるかも。著作権の問題が解決すれば、本はぜんぶデジタル化してダウンロードできるようにしたほうがずっと便利。わざわざ図書館に行かなくて済むし。図書館だって本の置き場所の心配をしなくていいのはうれしいんじゃないかと思います。でも、こういう話をすると「物質としての本」を愛してる文系オタクさんたちが怒りそう(笑)。

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4: 2009年01月26日 22時24分
Voltaireさんのお父様って、2011年にアナログテレビ放送が終わったらどうするんですか? ちょっと心配。

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5: archangel 2009年01月26日 22時48分
私の父は、機械の話になると「自分は機械が全然駄目なんですよ」とニコニコしながら言っていました。携帯を持たせると「うん、じゃあお前に任せたから」と言って自分に渡す始末。母も「電池が勿体ないから」と言って自分が話す時以外は必ず電源を切っていました。
そういった環境ですので、地震が来た時は大変でした。パソコンに対して「私はさわっていないから全然悪くないよ」と壊れてもいないのに必死に言い訳していました。
私の身近な世界ではネットのことが話題になることはほとんどありません。まだ30前の人でも「ネットの世界は嘘ばかりだから信用するな」「機械になど頼ったら人間駄目になる」といった感じです。また、パソコンの授業をしてくれというので「何をやればいいのか」と聞いたら「ワープロを教えるように」だけですね。つまり、未だにパソコン=ワープロだけの図式が成り立っているわけです。
ただ、みんな現実世界の出来事で十分満足しているようですので、ネット依存=現実逃避という構図は当たっていると思います。
しかしその結果として「知っている人間が疎外される」状況になっているのは確かです。デジタルネイティブと言うにはあまりに知識が足りませんが、向上心を持てない環境にあることも事実です。どうすればいいんでしょうね。

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6: 2009年01月28日 00時33分
すがやさん

eラーニング用語でいうと、チャットは同期型ツールですね。忙しいのに時間をやりくりして同じ時間帯に全員集合するのだから、文字しか使えないのはさびしいというか、時間の無駄遣いのような気がします。文字だけなら非同期型ツール、つまりメールや掲示板のほうが学習メディアとしては優れているのではないでしょうか。リサーチに時間をかけて、文章も練って書くことができるから。

ふむ、デジタルネイティブというのは和製英語じゃなくて、アメリカ人が作ったまともな英語だったのですね。アナログからデジタルに入ってきた人がDigital Immigrantなら、デジタルが嫌になって昔のアナログ世界に戻ろうとする復古主義者はなんと呼ぶべきか? Analog Returnee? 私自身はアナログの良いところを大事にしながらも、デジタル技術の最先端を突っ走る人間でありたいと思います。Analog-Digital Balancerでしょうか? こんな英語、ネイティブに通じますかねえ・・・

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7: 2009年01月28日 01時03分
archangelさん

> デジタルネイティブと言うにはあまりに知識が足りませんが、向上心を持てない
> 環境にあることも事実です。どうすればいいんでしょうね。

昔なら「東京に出てきたらどうですか」と助言したと思います。東京はさすが日本の首都だけあって優秀な人との出会いが多いし、いい学校や無料セミナーなど学ぶ機会も豊富だし、勉強仲間がほしければ「○○研究会」を立ち上げて人を集めればいいし、立派な図書館も充実していますから。また、知識労働者向けの仕事がたくさんあるのも魅力です。私が18歳のとき東京の大学に進学したのも、愛知県の片田舎では自分の知的成長が止まってしまうと思ったからというのが主な理由です。

でも最近は、地方在住者にとって事情がどんどん改善されているように思います。eラーニング大学/大学院を利用できるようになったし、本ならアマゾンで何でも買えるし、たいていの情報はネット上に見つかるし、図書館もネット対応を進めていますからね。なので、地方にいても向上心を維持するのは可能ではないかと思うのですが、いかがでしょう?

東京という大都会にはデメリットもたくさんあって、たとえば何をするにもお金がかかります。生活のペースも地方よりずっとばたばたしていると思います。決していいことばかりではありません。

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8: 2009年01月28日 01時22分
ゆみさん

> Voltaireさんのお父様って、2011年にアナログテレビ放送が終わったらどうする
> んですか? ちょっと心配。

うちのガンコ親父の心配をしてくださってありがとうございます。たぶん、おふくろがこっそり地デジ対応テレビに切り替えると思いますが、親父は気がつかないはず。(^O^)

実はうちの親父のようなアナログ原理主義者は、既に戦いに敗れ去っているのですよ。毎日、CDプレイヤーで音楽を聴いているのですが、あれはデジタル製品です。その他、最近は炊飯ジャーなどの家電製品にだってマイクロプロセッサと組み込み型ソフトウェアが入っているのを、うちの親父は知らないのです。知らぬが仏ですな。

同じ年寄りでも、おふくろのほうはずっと適応能力が高いです。ファックス電話をちゃんと使いこなして、姉と私に同報ファックスなんぞ送ってきますし。銀行ATMもちゃんと使えます。パソコンもiPhoneみたいなタッチパネルに対応した製品が登場すれば、たぶんマスターできると思うのです。人間と機械のインターフェースをもっと工夫すれば、デジタルデバイドという問題はかなり解決できるはず。

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9: 2009年01月28日 01時32分
ゆみさん

> 将来はもしかすると図書館がなくなるかも。著作権の問題が解決すれば、本はぜんぶ
> デジタル化してダウンロードできるようにしたほうがずっと便利。

私もそう予想します。グーグルがデジタル図書館プロジェクト
http://jp.ibtimes.com/article/biznews/070607/8370.html
というのを進めています。図書館のネット利用が主流になれば、建物としての図書館はなくなるか、あるいは規模を縮小せざるを得ないでしょう。かわいそうだけど、司書という職業はいずれ消滅するんでしょうねえ。

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10: archangel 2009年01月28日 19時27分
Voltaireさん

さすがによくわかっていらっしゃいます。短絡的に今の環境を変えるとしたら、間違いなく東京に行っています。あらゆる学びの環境が充実していますからね。
ただし。

>でも最近は、地方在住者にとって事情がどんどん改善されているように思います。eラーニング大学/大学院を利用できるようになったし、

すでにこの恩恵を存分に受けているわけです。その意味ではかなり贅沢な要求でもあるんですね。また、自分の場合は地方のデメリットというより、周囲のデジタルに対する許容度の問題ですから、この問題さえ解決すれば、居心地が良くなるわけです。自分の力不足ということも当然ありますね。

>東京という大都会にはデメリットもたくさんあって、たとえば何をするにもお金がかかります。生活のペースも地方よりずっとばたばたしていると思います。決していいことばかりではありません。

こういうこともあります。デジタル云々より、まず生活に慣れられなくてダウンするほうが早いかも。

>人間と機械のインターフェースをもっと工夫すれば、デジタルデバイドという問題はかなり解決できるはず。

私も全くその通りだと思います。だから人間工学的なアプローチが重要になるんですよね。あとはデジタル機器に限らず、機械や電化製品というのは、どうしても無味乾燥になりがちですので、使っていて愛着がわくデザインというのも重要ですね。

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11: nori 2009年01月28日 19時31分
僕は何でもデジタル化するのは反対です。デジタル情報はコピーが簡単にできるので、隠しておくのが難しいからです。僕の会社で顧客名簿が漏えいしたことがあるのですが、犯人が誰だか結局わからずじまいでした。クレジットカード会社から顧客のクレジットカード番号リストが漏れるという事件は頻繁に起きているようです。もしかすると、病院で管理している患者の病歴なども漏れているかもしれません。ブラックマーケットが存在していて、そういうおいしそうな情報ほどいい値段で取引されているのでしょう。こういう情報は昔のようにアナログ(つまり紙)で管理したほうがいいと思います。

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12: あっきー 2009年01月28日 19時53分
すべての情報がデジタルになると、情報を売ってお金にしている人々は失業しかねないと思います。情報の値段がただ同然になってしまうからです。学校、新聞社、出版社などは商売の仕方を変えないと生き残れないでしょう。

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13: archangel 2009年01月28日 20時09分
あっきーさん。

>すべての情報がデジタルになると、情報を売ってお金にしている人々は失業しかねないと思います。情報の値段がただ同然になってしまうからです。

だからテレビ局などは必要以上にネットを敵視している面がありますね。それにたいしてgoogleなどは「ユーザーのニーズ」を合言葉に無償化を進めていると言えます。
ただ、ユーザーの側としてどちらがいいのか?クリエーターの側だったら、これ以上の無償化は死活問題ですが、一ユーザーとしたらどちらがいいのでしょうか?

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14: msugaya 2009年01月28日 20時09分
Voltaireさん

「同期型ツール」という意味では「セカンドライフ」がそうですね。リアルタイムで動き回り必要があります。これでは忙しくて「可処分時間」を持てない日本人には楽しめません。

 都会に住んでいる人たちにとっては、結局、娯楽も「可搬性」が必要になります。携帯電話しかり、ゲームしかり、最近、元気がないですがマンガもそうでした。

 文字をやりとりするチャットで面白いなと思ったのは、こちらがパソコン通信を始めたばかりの1985年頃、アメリカのCompuServeという当時世界最大のオンラインサービス(会員数が20万人くらいだった)で、通信速度によって料金が異なっていたことでした。300bps以下ですと1200bps以上の料金の半分以下ですみました。

 当時は誰もがアナログの電話回線に、モデムや音響カプラーを介してパソコンをつないでいましたが、チャットは回線の占有時間が長くなること、タイピングの速度を考えると300bpsで充分なこともあり、「チャットをしよう」ということになると、皆さん、1回切断し、300bpsで入り直しました。

 この有料の商用サービスと無料だったインターネットがドッキングしたときは、双方の文化が対立し、一種の文化摩擦が起きたりしたものでした。

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15: archangel 2009年01月28日 20時11分
内容が別になるので書き込みを変えます。
ただ、双方が上手に融合することはまだないように思います。最近テレビでブログネタを紹介する番組が出てきましたが、まだこなれていませんね。私のまわりもテレビだけを見ていて満足している人ばかりです。このような人たちが、仮にブログネタの番組を見たからと言ってネットに走るとも思えません。
タケルンバさんがおっしゃるように、普通の人はメディアに積極的に関わろうなどと思っていませんので、普段やっているテレビの内容で満足している人が多いです。
http://d.hatena.ne.jp/takerunba/20080605/p2
それを考えると、地デジすらやりすぎなのではという気もします。
技術だけが進んでも、消極的ユーザーの支持は得られませんね。

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16: あっきー 2009年01月28日 20時30分
archangelさん

>一ユーザーとしたらどちらがいいのでしょうか?

情報を売るのではなく、情報を受け取る立場の人は得をしているのか損をしているのかということですよね。答えは明白だと思います。これまでお金を払って買っていたものが無料になるのだから、ものすごく得をしている勘定になります。Wikipediaひとつ取ってみても、お金に換算すれば相当な金額になります。昔は百科事典を購入するのに数十万円も払っていた訳ですから。また、私は朝日新聞の購読を止めてasahi.comをチェックするようにした結果、年間48,000円を節約できるようになりました。アナログ系の会社に就職しなくて良かったと思います。

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17: msugaya 2009年01月28日 23時57分
「地デジ」の話題が出ていますが、我が家はケーブルテレビに加入しているため、アダプターが地デジ対応になっています。そのためテレビはアナログでかまいません。そこで、少し前に買い換えたときは、投げ売り状態になっていたアナログのテレビを買ってきました。

 また、テレビはNHKの大河ドラマくらいしか見ません(あとは自動車レース)。ビデオもいまだにVHSですが、タイマー録画の方法がわからないため、録画の必要があると娘にSOSを出しています。

 デジタルネイティブ度は80%で、パソコンやネットのことなら一通りわかるのですが、テレビのことになるとダメです。これは関心の有無の問題なんでしょうね。

 最近、電子レンジが、ようやく使えるようになりました(^_^;)。

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18: 2009年01月29日 20時06分
のりさん

> 僕は何でもデジタル化するのは反対です。デジタル情報はコピーが簡単にできる
> ので、隠しておくのが難しいからです。

ID/PWでアクセスを制限し、データを暗号化し、操作する人間を監視すれば大丈夫と思うのは甘いですよね。何かしら抜け道があるものです。機密情報は、バックアップや廃棄処分にしたハードディスクから漏れることが多いと聞いたことがあります。私が以前勤めていた会社では、下請けのそのまた下請けに勤めているパートタイム社員が顧客のネットワーク図を横流しして新聞ダネになったことがありました。

機密情報はデジタル化せず紙に書くのは名案かもしれませんが、面倒くさいからたぶん誰もやらないんじゃないでしょうか。(^_^;)

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19: 2009年01月29日 20時28分
すがやさん

> 「同期型ツール」という意味では「セカンドライフ」がそうですね。リアルタイム
> で動き回り必要があります。これでは忙しくて「可処分時間」を持てない日本人に
> は楽しめません。

セカンドライフみたいな仮想現実サービスが本当の意味で普及するには、いろんな条件が整わないとだめなようですね。私は以下の3つくらいでいいかなと思っていたのですが。

・一般用PCのグラフィック性能が向上する
・素人でも美しいCGを簡単に作れるようなツールが付属する
・セカンドライフにしか存在しないキラーアプリが登場する

しかし、日本人の生活にもっとゆとりができるとか、睡眠時間を削っても使いたいようなものになるとかいう条件も加えたほうがいいのかもしれませんね。

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20: 2009年01月29日 20時46分
archangelさん&すがやさん

地デジはたぶん最初のうちは、「映像や音質が従来のものよりちょっといいだけのテレビ」に過ぎないから大しておもしろくないでしょう。でも、いずれ無線インターネットが標準装備され、双方向テレビという形に発展していくのだろうと思われます。テレビ電話付きのモデルも発売されるでしょう。そうなれば、テレビは総合デジタル情報端末になるはず。これなら結構エキサイティングでは? eラーニングにも革命が起きるかもしれませんよ。PCもすたれる可能性があると思います。

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21: archangel 2009年01月29日 21時42分
Voltaireさん

ブログを毎日書くくらいの積極的ユーザーなら現行のスタイルでも別に問題ないと思います。使える機能は積極的に使いますから。
問題は、ただテレビを見ているだけといった受動的消極的ユーザーにどの程度アピールできるかですね。テレビ電話も事前にIDとパスワードを入れてと言ったことが必要になると、それだけで使わなくなりますね。ですので、どの程度意識しないで使えるかということがポイントになります。
逆に言うと、使えるものはどんどん使うeラーニングはおっしゃるとおり大きな発展が望めます。個人的にも期待したいですね。

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22: archangel 2009年01月29日 21時50分
あっきーさん

アナログ原理主義の人は、こういったデジタルの利点には目もくれませんね。頭から「まともなコミュニケーションじゃない」「そんなの人間らしくない」「現実の人間関係と関係ない」という理由で全てを拒否します。
現実で話す相手だけで満足できるのなら、別にそれで構わないと思います。
だったら、そういう環境に満足できない人間にとってのコミュニケーション手段としてはどうなのか?「そんなのに頼るなんて人間らしくない」だけですね。トピックのお題にありましたとおり、頭から拒否する人を説得するのはきわめて困難ですね。

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23: 2009年01月30日 21時10分
もしかすると、アナログ原理主義者は正しいのかもしれません。

デジタル世界で作った人間関係って浅薄で、交友関係が長続きしないことが多いようです。私の場合、5年以上続いたケースがひとつもありません(オフ会等で実際に顔をあわせた人は除く)。archangelさんが引用している「まともなコミュニケーションじゃない」という批判は案外、的を射ているのかも。

どちらかというとデジタルネイティブに近く、仕事でも私生活でもテクノロジーの恩恵を享受してきた私のような人間が言うのは変ですけど、パソコン通信/インターネットを毎日使うようになって以来、私の読書量は大幅に減りました。昔は、新聞と雑誌込みで毎月500ページは軽く読んでいたのですが、最近は300ページに届かないことがほとんどです。言うまでもなく、これにはウェブとメールが影響しています。ちなみに、アナログ世界のビンラディン^^;である私の父によれば、月間読書量が1000ページ以下の人間は教養人ではないとのこと。

知的生活という言葉が、「読書と思索が中心となるような生活」を意味するのであれば、デジタルネイティブのライフスタイルは知的生活とは言えないのではないか、などと思ったりしました。

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24: archangel 2009年01月31日 23時28分
Voltaireさん

確かにその通りですね。ただ、人間関係以上に、物理的な距離も影響しているように思います。どうしても遠方の人が中心になりますので、何かのきっかけで連絡が取れなくなるとそれっきりになることが多いですね。
私の読書量はそれほど変わっていないように思います。ただ、最近は勉強に関連する内容が多くなりました
ただ、これは典型的な外部的要因なので、比較は出来ませんね。

ところで。デジタリアンという言葉があるようですね。デジタルネイティブと棲み分けているのか、単なる言葉遊びなのか気になるところですね。

http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/hatsugen/korea-...

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25: nori 2009年01月31日 23時47分
Voltaireさん

>知的生活という言葉が、「読書と思索が中心となるような生活」を意味するのであれば、デジタルネイティブのライフスタイルは知的生活とは言えないのではないか、などと思ったりしました。

たぶん今後は知的生活の定義が変化していくのではないでしょうか。知識が豊富な人が教養人ともてはやされる時代はもう終わりだと思います。知識があるだけでは何の価値もないし、知識の量だけでいえば人間はコンピューターにかないっこないわけですから。

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26: archangel 2009年02月01日 10時53分
noriさん

情報をいかに活用していくのかがこれから求められるでしょうね。ネットがどうしたとかを議論する時代ではもはやないと思います。そのことは、2ちゃんねるに代表される業界用語の世界が、いかに一般的な世界に脱皮していくか(それとも拒否して自分たちの世界に閉じこもるか)ですね。
あと問題なのは、デジタルネイティブ的な面が世の中の基準になった場合、おいて行かれる人が絶対にいることと、他人がやったことに振り回される時代になったことです。
昨日googleでトラブルがありましたが、こちらが誤った操作をしたかのようなメッセージが出ていました。http://internet.watch.impress.co.jp/cda/news/2009/02/01/2...
コンピュータが世の中の基準になる危険性を改めて示しましたね。アナログ原理主義とか言う前に、誰にでも理解できる言葉で機械のことを説明する努力が必要です、もちろん自戒を込めて。

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27: 2009年02月01日 11時43分
>>23:Voltaireさん

>>知的生活という言葉が、「読書と思索が中心となるような生活」を意味するのであれば、デジタルネイティブのライフスタイルは知的生活とは言えないのではないか、などと思ったりしました。

まず、「読書」に視点を向けると、このアナログ原理主義者の方の意見は、大学のレポートにおける、「インターネットの情報は極力引用しないこと」、という注意書きに似ていると思いました。
つまり、これは、デジタルの情報が、紙媒体に比べてあまりに流動的で信憑性がないという事実が一因ではないでしょうか。「『wikipedia』は誰でも編集できる」と大学で耳タコになっているように、現在においても、ネットの情報は誰でも変えられる、だから信憑性がない、という認識があるのは事実であると考えます。近い将来、何らかの方法でデジタル情報の信憑性が確立したら、デジタルネイティブの方々の言説も、知的精神に欠けると言われずに済みそうです。
次に、「思索」に着目すると、「思索」は、いわば難しい物事に対する能動的なアプローチ(思)で、しかも得た情報を自分自身で構築するために模索するもの(索)だと考えます。ここで分析の対象をインターネットの、とりわけ知的と言われているものに関わる「検索システム」をめぐる環境に限りますが、これは『wikipedia』のイメージが強いのではないでしょうか。つまり、完成された情報が、検索すればすぐに飛び込んでくるインターネットの「検索システム」は、テレビと同じく受動的な情報媒体として認識されがちだと思います。とりわけデジタルネイティブの方々においては、生まれ持った環境が「それ」であるわけですから、さらに受動的と言えるでしょう。ゆえに「思索」して完成された情報は、インターネットの検索システムで得た情報とはまったく違うものなのではないでしょうか。

考えてみるとインターネットは、「高尚なもの」としては完全にアウェイですね。さんざんやり玉に挙げてきた『wikipedia』も、論文には(まだ)使えませんが、ちょっとした知識を得たいときには価値があると思います。例えば合コンで異性の気をひくときなど。情報は情報で、質の問題なので、役に立つのであれば捨てたものではないと思います。

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28: 2009年02月01日 12時18分
連投失礼します。

>>archangelさん

>>ところで。デジタリアンという言葉があるようですね。デジタルネイティブと棲み分けているのか、単なる言葉遊びなのか気になるところですね。

デジタリアンというのは、おそらくベジタリアンとかけた言葉なのではないでしょうか。
そもそもベジタリアンの定義について調べなおしてみると、NPO法人日本ベジタリアン協会のウェブページ[http://www.jpvs.org/]の「ベジタリアン」の項には、近代以降は、ベジタリアンは「自分の選択で菜食主義を選んだ人」という意味である、という趣旨の文章が書いてありました。
ですから、これに則ると、デジタリアンは、「自分の選択でデジタル主義を選んだ人」ということになると考えます。もちろん「デジタル」という概念が発生したのは近代以降ですので、参考にしても差し支えはないと思われます。
デジタルネイティブは、前述の書き込みにもあるように、もともと「デジタルな環境」に生まれ、育った人のことを指すので、重複する例はあれど、デジタリアンとデジタルネイティブは、意味合いは多少違ったものになるでしょう。

>>情報をいかに活用していくのかがこれから求められるでしょうね。ネットがどうしたとかを議論する時代ではもはやないと思います。そのことは、2ちゃんねるに代表される業界用語の世界が、いかに一般的な世界に脱皮していくか(それとも拒否して自分たちの世界に閉じこもるか)ですね。

とはいえ、インターネット情報の信憑性はまだまだ紙媒体には敵わないなど、人間とインターネットの関係にはまだ盲点がありますので、当分はサブカルチャー的に機能するでしょう。しかし、ひとたびインターネット情報の信憑性など、インターネットの価値が確立されたら、確かにいわゆる「インターネット文化」は選択を迫られると思います。
例えば、『2ちゃんねる』はいち早くその基点をシンガポールに移しました。シンガポールは『生き残り』を国家目標にして、多文化共生、というより多文化混合を目指し、海外から積極的に人材を取り入れ、『シンガポール人』の創出を目指している国です。これは現在のインターネットの、流動的、無国籍的、また冷血的なイメージと非常に似ており、『2ちゃんねる』元管理人の判断は、言葉をお借りしますと「自分たちの世界に閉じこもる」側として成功したといってもいいのではないでしょうか。

また、ここからは個人的な意見ですが、インターネット利用者が情報を取捨選択することは確かに重要ですが、「インターネット情報提供者」の手腕が悪ければ、必ずどこかで齟齬が発生してしまうでしょう。なぜなら、プログラムがいくら正確でも、「インターネット文化」の対象が人間で、人間の「認識」のメカニズムが、コンピュータ上で矛盾なしに説明できない限り、インターネットを操作するのは、あくまで人間にとどまると思います。
ですから、デジタルネイティブ的な面は、コンピュータが人間に完全にとってかわらない限り、まだ世の中の基準にはならないでしょう。「認識」メカニズムの完全解明と、「デジタルネイティブ世代の席巻」、どちらが先に来るのか非常に興味深い話題であります。

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29: 2009年02月01日 20時35分
さんぐらたろうさん

> 近い将来、
> 何らかの方法でデジタル情報の信憑性が確立したら、デ
> ジタルネイティブの方々の言説も、知的精神に欠けると
> 言われずに済みそうです。

グーグルで上位表示されるのは信憑性の高さと無関係で
はないと思われます。被リンク数が多いサイトほど高く
評価されるというアルゴリズムを使っていますから。学
術論文の信憑性を測る際、被引用数が用いられるのと同
じ理屈です。しかし、単に笑えるからという理由でも被
リンクは増えるから、完全な指標とは言えませんが。

金融業界におけるスタンダード&プアーズやムーディー
ズのように、ウェブサイトの信憑性をAAAとかBBとか格
付けする第三者機関を作ればいいでしょうかね?

> 完成
> された情報が、検索すればすぐに飛び込んでくるインター
> ネットの「検索システム」は、テレビと同じく受動的な
> 情報媒体として認識されがちだと思います。

書籍から得られる情報も、ネットで検索して見つかる情
報も情報という点では同じなのに、読書は能動的でウェ
ブ閲覧は受動的というのはおもしろい認識(偏見?)と
思います。デジタルネイティブの人にそう言ったら、た
ぶんこんなふうに反論するんじゃないでしょうか:

それは逆だ! 読書が受動的で、ウェブ閲覧が能動的な
のだ。本はただの紙束にすぎず、インタラクティブなメ
ディアではない。しかし、ウェブ情報には読者と他の読
者、運がよければ著者本人と双方向的に情報をやりとり
するメカニズムが既に備わっているではないか。

それに、検索は決して受動的な営みではない。たとえば、
グーグルで「マイクロソフト」と指定して検索すると
18,500,000件の結果が得られる。このうち、どの情報を
捨ててどの情報を取るのかを判断するのは検索した人で
ある。情報の取捨選択は能動的な行為ではないか。

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30: 2009年02月01日 20時56分
のりさん

> 知識が豊富な人が教養人ともてはやされる時代はも
> う終わりだと思います。知識があるだけでは何の価
> 値もないし、知識の量だけでいえば人間はコンピュ
> ーターにかないっこないわけですから。

私もそう思います。インターネットのせいで、機密情報や個人情報を除けば、情報の値段はゼロになってしまいました。したがって、物識りさんの価値もゼロです。

これからは人を評価する際に
・何を知っているか、どのくらい知っているか
ではなく
・何ができるのか、どのような変化を起こすことができるのか
を重視するようになると思われます。

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31: archangel 2009年02月01日 21時28分
Voltaireさん

>私もそう思います。インターネットのせいで、機密情報や個人情報を除けば、情報の値段はゼロになってしまいました。したがって、物識りさんの価値もゼロです。

とはいえ、情報の発信源に格付けをする場合には、発信源の知名度が大きく影響しますね。「ネットなんて信用できない」理由の一つに「別に有名でも何でもない普通の人が情報を発信している」事が挙げられます。情報の内容でなく「その人が世間的にどの程度知られているのか」が評価の基準となっている人にとっては、やはりマスメディアが一番信頼できて、一番安心出来るデータソースです。
つまり、群衆の叡智というのが利用できない状態です。この観点から言うと、デジタル情報など全く信用できませんね。このような評価のスタンスを変化させるにはどのようなことが出来るでしょうか。

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32: 2009年02月01日 22時40分
archangelさん

> 情報の内容でなく「その人が世間的にどの程度知られているのか」が評価の基準と
> なっている人にとっては、やはりマスメディアが一番信頼できて、一番安心出来る
> データソースです。

そういう愚かな人々は、マスメディアが広告主に遠慮して記事を書いているという事実を知らないのですよ。悪口を書けば広告を出してもらえなくなるから、批判を避けているという事実をね。

> このような評価のスタンスを変化させるにはどのようなことが出来るでしょうか。

放っておけばいいのではないでしょうか? 彼らが馬鹿なのはarchangelさんのせいではありませんよ。(^^)

「地上には普遍的な存在が二つのある。水素と馬鹿だ」(フランク・ザッパ)

「馬鹿には沈黙が知恵のかわりをする」(プブリリウス・シルス)

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