QuonNet(クオンネット) まなぶ・つながる・はじまる・くおん


トピック

第16回歴史散策同好会を開催

  • 歴史散策同好会
  • ゲストユーザーまで公開
  • オケタ
  • 2015年11月03日17時01分
  10月25日に「旧陸軍登戸研究所を訪ねる」と題して、同研究所があった明治大学生田キャンパスを散策した。
 少し北風が強いものの快晴に恵まれ、12時50分に小田急線向ヶ丘遊園北口に集合した12名はバスで明治大学正門前に向かい、直接ここで待っていた5名を加えた総勢17名は正門前まで出迎えてくださった、明治大学平和教育登戸研究所資料館の塚本百合子さんの案内で早速遺跡巡りに出発した。
 最初に向かったのは旧登戸研究所本館前に残る車寄せやヒマラヤスギの並木。当時の写真と見比べると建物こそ変わっているものの当時の面影が残っている。次に向かったのが動物慰霊碑。色々な実験に使われた動物の霊を弔うために建てられたものだが、明治大学がこの地を取得後に設置されたのが農学部だったことから、その後も毎年この碑の前で慰霊祭を開催しているとのこと。構内を東から西に抜けて弥心(やごころ)神社(現生田神社)へ。大学構内に神社があるのは珍しいとのことだが、ここには「八意思兼神(やごころおもいかねのかみ)」という研究(知恵)の神が祭られているとのことで、境内には元所員によって「登戸研究所跡」碑が建てられ、そこには「すぎし日は この丘にたち めぐり逢う」という句が刻まれており、当時の所員達の複雑な気持ちが詠われている。今度は構内を北から南に移動して、途中で陸軍の星形のマークの付いた消火栓などを見ながら資料館へと向かった。研究所の建物のほとんどは木造で、最近まで残っていた建物も老朽化して危険であることから全て取り壊された中、鉄筋コンクリート造りであった旧第二科研究室がほぼそのままの形で「平和教育登戸研究所資料館」として一般公開されている。
 ここでは最初に資料館が出来るまでの経緯をまとめた30分ぐらいのDVDを見たが、この中で、川崎市の法政二高と当研究所が昭和20年に分散・疎開した長野県伊那の赤穂高校の学生たちの活動が大きな力となったことなどが紹介されていた。その後、五つの展示室を順番に案内していただいた。第一展示室は登戸研究所の運営体制や組織体制など全般的な展示、第二展示室はアメリカ本土をめがけて飛ばした風船爆弾の研究に関する展示、第三展示室は生物兵器・毒物・スパイ機材などの研究開発に関する展示、第四展示室は当時の蒋介石政権の経済攪乱を目的に行われた偽札製造に関する展示、そして最後の第五展示室は戦局の悪化に伴う本土決戦体制の構築と登戸研究所の長野県への移転に関する展示がされており、それぞれに興味深いものであった。
 一通りの見学を終了し、構内の案内から資料館内部の説明までよどみなく・丁寧に・詳しく説明をしていただいた塚本さんにお礼を言って、生田駅から小田急線で登戸に戻り、懇親会場である磯料理の元海へ。島岡会長の音頭でこのような形で遺跡の保存展示に努めている明治大学と今日の散策を企画した児玉さんに感謝の乾杯をした後、今日の見学の感想、日本が大活躍したラグビー・ワールドカップ、明治が法政に負けたのでもし明日も明治が負ければ早稲田にも優勝の可能性が生まれるかもという野球、マンションの基礎杭の問題など色々な話題で大いに盛り上がった後に、来年の春の散策での再会を約して解散となった。(越智威雄記)
<参加者> 糸賀大、稲葉茂、井上勝利、大江宏器、越智威雄、梶八重子、神戸良枝、児玉總一郎、島岡栄基、坪井武信、永島偉行、永島氏子息、土肥恭一、朴信英、平沢和久、森本正、山田隆
連絡先:幹事長 越智威雄
Mail:t-ochi@hkg.odn.ne.jp

ページトップへ

早稲田大学川崎稲門会

早稲田大学川崎稲門会

トピック

あなたの意見や疑問など、みんなで話したい話題を投げかけてみましょう

新規会員登録

メンバーの最新日記

ゼクシオ10購入
    藤田 広一さん (08月20日)
ご無沙汰です
    ヨッチャンさん (10月31日)
落ち着き
    ヨッチャンさん (09月21日)
ひさびさ
    ヨッチャンさん (09月13日)
夏休み
    ヨッチャンさん (08月28日)